はじめに
※『ルックバック』の感想文です。本編未視聴の方、ネタバレを避けたい方は読まないでください。
本文
2019年7月18日、夕刻だったと思う。仕事がひと段落して喫煙所で一服。Twitterを開き、タイムラインに流れてきたニュース見て、愕然とした。
「京都アニメーションに放火の疑い、死者33人に」
怒りや悲しみ、憎しみなど、複雑な気持ちが込み上げ、その場に座り込んだことを覚えている。
当時、多くのアニメファンが、京都アニメーションの作品の画像とともに想いを綴ったツイートをしていた。自分には、それができなかった。
ただただ、喪失感が全身を覆うようにのしかかってきて、それどころではなかった。
次の日、仕事が手に付かないほどの倦怠感で会社を休んだ。自分とは何の接点もない、他人の死がこれほど精神に悪影響を及ぼすなんて考えたこともなかった。
深夜アニメを初めて見たのは14歳の頃。塾の帰りに友人が勧めてくれた『涼宮ハルヒの憂鬱』に熱中した。『らき☆すた』『日常』のmeme(ミーム)に夢中になった。『けいおん!』が好きな友人にギターを教えた。
そんな、“あの頃の思い出”を形作った京都アニメーションのクリエイターたちが、一方的に命を奪われた。
僕はこの事実を受け止めきれず、何気ない日常を映し出すタイムラインを直視できなくなった。そして、Twitterアカウントを削除した。
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2021年7月19日0:00、集英社の漫画アプリ『ジャンプ+』に藤本タツキの読切『ルックバック』が公開された。
「辛いことは時間が解決してくれる」とはよく言ったもので、一方的に命が絶たれる残酷さも、公開日が何を意味するかも、思い出したのは読んだ後のことだった。
『ルックバック』には、京都アニメーション放火事件を彷彿とさせる「異常者が大学に侵入して人の命を奪う」という描写がある。
藤野の相方、京本は一方的に殺される。それでも藤野は、日常に戻って漫画を書く。書き続ける。
この結末は、当時の衝撃を、行き場のない感情に蓋をした自分にとって、ひとつの救いでもあった。ゆえに、ひとえにクリエイターの背中を押すだけの作品ではないと感じた。
藤本タツキはデビュー前に「長門は俺」という名義で、まるで藤野のような漫画をウェブにアップしていたことを知っていたからだと思う。
彼は、漫画を描くことであの気持ちに蓋をしたのではないか。名作として多くの人の心に残るほど、あの事件の出来事は時間による風化を許さなくなる。例え、自分を形作った、半身を失ったとしても。
先日、Amazon Primeで配信された映画『ルックバック』を観て、また蓋が外れてしまったので、ブログに残すことにした。
加害者のことは生涯忘れないし、許せない。この気持ちを蓋で塞ぎきることはできない。それでも前を向いて、自分が出来ることに向き合っていこうと思う。藤本タツキのように。
〆